後継者がいない中小企業のM&Aでは、「いくらで売れるか」と同じくらい「手元にいくら残るか」が重要です。同じ譲渡価額でも、株式譲渡と事業譲渡のどちらを選ぶかで税負担は大きく変わります。売り手・買い手それぞれの立場から、税務上の違いを整理します。
株式譲渡と事業譲渡は「誰に」税金がかかるかが違う
株式譲渡は、オーナー個人が保有する株式を買い手に売る取引です。会社そのものが丸ごと移るため、契約・許認可・従業員の雇用関係は原則としてそのまま引き継がれます。税金がかかるのは株主であるオーナー個人です。事業譲渡は、会社が持つ事業の一部または全部を資産・負債単位で売る取引です。売却の当事者は会社であり、税金がかかるのは法人です。契約や許認可は個別に移転手続きが必要で、従業員も原則として再度の同意が要ります。この「誰に課税されるか」の違いが、手取りの差を生みます。
売り手の手取りは株式譲渡が有利になりやすい
株式譲渡でオーナー個人が得た譲渡所得は、申告分離課税で税率20.315%(所得税15%・復興特別所得税0.315%・住民税5%)です。他の所得と合算されず、税率も一定です。一方の事業譲渡では、まず会社に法人税等(実効税率で概ね30%前後)が課され、その後の資金をオーナー個人が手にするには配当や役員退職金、あるいは会社の清算という段階を踏む必要があり、そこでさらに課税されます。配当であれば総合課税で累進税率の対象です。つまり事業譲渡は法人段階と個人段階の二段階で課税される構造になり、同じ譲渡価額でも手取りは株式譲渡より小さくなるのが一般的です。中小企業のM&Aで株式譲渡が多く選ばれるのは、この差が大きな理由です。
買い手にとっては事業譲渡に「のれん償却」というメリットがある
では事業譲渡が選ばれないかというと、そうではありません。買い手の視点では事業譲渡に明確な利点があります。第一に、簿外債務や偶発債務を引き継がずに済むことです。株式譲渡は会社を丸ごと引き受けるため、未払残業代や保証債務といった見えないリスクも承継します。第二に、事業譲渡で生じたのれん(資産調整勘定)は5年間で均等償却して損金にできます。株式譲渡では買収価額は株式という資産になるだけで、償却による節税効果はありません。この償却メリットがあるため、買い手は事業譲渡なら価格面で譲歩できる余地が生まれます。売り手が「株式譲渡でなければ手取りが減る」と主張し、買い手が「事業譲渡ならリスクを避けられ償却もできる」と考える。この綱引きが価格交渉の実質になります。
消費税を忘れると資金繰りが狂う
実務で見落とされやすいのが消費税です。株式譲渡は有価証券の譲渡であり消費税は課されません。これに対し事業譲渡は資産の個別の売買であるため、課税資産(棚卸資産、建物、機械装置、そしてのれん)には消費税がかかります。土地や債権は非課税ですが、独自のノウハウやブランド力を評価してのれんが大きくなるほど、消費税額も膨らみます。買い手は譲渡代金に加えて消費税相当額を用意する必要があり、売り手は預かった消費税を納付する必要があります。契約書で「税込」か「税別」かが曖昧なまま進み、決済直前に資金が足りないと判明する事例もあります。事業譲渡を選ぶ場合は、早い段階で課税資産と非課税資産を区分し、消費税額を試算しておくべきです。
役員退職金を組み合わせて手取りを設計する
株式譲渡を選ぶ場合でも、譲渡代金の全額を株式の対価にするとは限りません。実務では、譲渡対価の一部をオーナーへの役員退職金として支給する設計がよく検討されます。退職所得は、勤続年数に応じた退職所得控除を差し引いたうえで、その2分の1だけが課税対象となり、他の所得と分離して課税されます。勤続年数が長いオーナーほど控除額が大きく、株式譲渡益に対する20.315%より実質的な負担が軽くなる場合があります。
買い手にとっても、退職金は会社の損金になり、支給後は純資産が減るため株式の買取価額が下がります。両者にとって合理性がある一方で、注意点もあります。不相当に高額な部分は損金として認められません。実務では最終報酬月額×勤続年数×功績倍率という算定方法が用いられることが多く、同業・同規模の水準から大きく外れる金額は否認リスクを抱えます。また、退職の実態(経営から実際に退くこと)が求められ、譲渡後も従前と変わらず経営に関与していると退職と認められないおそれがあります。金額と実態の両面から設計することが重要です。
まとめ
株式譲渡は個人に20.315%の分離課税で完結し、売り手の手取りが大きくなりやすい方式です。事業譲渡は法人課税と個人段階の二重課税になる一方、買い手は簿外債務を避けられ、のれんを5年で償却できます。消費税の有無も資金繰りに直結します。どちらの方式を選ぶかは税額試算をしたうえで交渉すべき論点です。事業承継・M&Aに伴う税務は、税務顧問・税務申告サービスへご相談ください。



